【解説・考察】舞台「良い子はみんなご褒美がもらえる」

【解説・考察】舞台「良い子はみんなご褒美がもらえる」

良い子はみんなご褒美がもらえる

先日、生まれて初めての舞台観劇へ行って参りました。

大筋はシンプルな話だったなと思ったのだけど、「難解だ」「よくわからない」といった声が多いようなので、簡単に解説、個人的な解釈や考察を記載します。

ちなみに、舞台は初心者なので、振り付けの意味とかそういう類については門外漢です。そういった観点には一切触れておりませんので、ご容赦ください。

登場人物

まず主要な登場人物を簡単に説明。3人のアレクサンドル・イワノフとその他。

・アレクサンドル・イワノフ(以下、アレクサンドル):堤真一
軟禁された精神病院でハンガーストライキをする政治犯。息子を愛しているが、信念のためなら捨てる覚悟もある。

・アレクサンドル・イワノフ(以下、イワノフ):橋下良亮
オーケストラを指揮しているという妄想のせいで精神病院に入れられている患者。精神患者とは思えないほど元気で、なんか楽しそう。

・アレクサンドル・イワノフ(以下、サーシャ):シム・ウンギョン
アレクサンドルの息子。サーシャという略称で呼ばれるが、フルネームはこれまたアレクサンドル・イワノフ。ややこしや。

・医者:小手伸也
ヴァイオリンが趣味の精神科医。物語上はただの道化。オーバーな演技がうざい。

・大佐:外山誠二
偉い人。最後にのそのそ出てくる。医者でもあるが、専門は言語学の「意味論」というのが重要。

・教師:斉藤由貴
社会が正しいとすることを信じる正しさの権化。この人の話す内容は、本作における社会の考えそのもの。

タイトルの意味

『良い子はみんなご褒美がもらえる』というタイトルだが、本作における”良い子”とは、「社会にとって都合の”良い子”」を指す。つまり国や社会、権力者によって定められた枠組みを守る模範生のこと。国を批判する政治犯であるアレクサンドルや、他者から見えないオーケストラを信じるイワノフは、無論のこと”悪い子”といえる。ラストあたりでサーシャの歌声で「パパ、良い子にしてー(うろ覚えなので適当)」みたいな台詞があったことからも、この物語においてアレクサンドルが”悪い子”として位置付けられていることがわかる。

また、”ご褒美”とは、社会からの利益や待遇を享受することといったところだろうか。裏を返して『悪い子はみんな罰せられる』とした方が、登場人物からイメージをつかみやすいかもしれない。

ちなみに、戯曲の原題は『Every Good Boy Deserves Favour』で、楽譜を読む時に五線譜を下からE,G,B,D,Fと読むことから名付けられた、覚えやすい語呂合わせのようなものだそうで。直接的な言葉の意味ではなく、「こう決まっているからこう覚える」といったルールのようなものなので、上で説明した物語上のタイトルの意味とのダブルミーニングで考えると面白い。

以上、タイトルの意味を簡単に説明したが、本作は、抑圧された社会環境からはみ出して自由に振る舞う”悪い子”である2人を、社会や権力が”良い子”に矯正しようとする物語といえる。

重要シーン:大佐の取り違え

物語で最も重要なシーンは、大佐が2人のアレクサンドル・イワノフを取り違える場面であろう。劇場では大仰な芝居に観客の笑い声も聞こえたが、よくよく意味を考えると恐ろしいシーンでもある。

アレクサンドルは、自分が病気であると認めずハンガーストライキによって自死することで、自由を認めない政府への抵抗になると考えていた。政府側としては、人を死なせたとあっては非難の対象になるので、どうにかアレクサンドルに自身を病気だと言わせて、己の非を認めずに解放したいと考えている。また、イワノフについても、オーケストラが存在しないということを認めさせて、解放してしまいたいと考えている。

そこで大佐は、同名の2人を同じ病室に入れて、あえて逆のアレクサンドル・イワノフに質問を行うという行動をとる。イワノフはオーケストラのことしか興味がないので聞かれた通りに答えるし、アレクサンドルも「オーケストラが聴こえるか」という質問には「いいえ」と答えるしかない。ここで「はい」と答えれば一矢報いることもできたであろうが、彼の信念上、”1+1=3”と答えることはできなかったのであろう。

なお、同じ病室に入れるよう指示したのも大佐であることが医者から明言されており、「大佐は天才」「専門は精神科ではなく”意味論”」といった台詞からも、ただのミスではなく意図的な行動であったということが読み取れる。

これにより、ここまでの頑張りを容易く潰されたことになるが、大佐はもののついでとばかりに「おかげさまで」という一言を強要する。これはここまで面倒をかけさせたアレクサンドルへのメンタルダメージを狙ったただの嫌がらせで、大佐の予想通りまともに立っていられないほどの大ダメージを与えることに成功する。

ラストシーンの意味

ラストシーンにおいて、アレクサンドルは舞台に立ち指揮棒を取るが、このシーンは状況の判断材料が少なく、観る者によって解釈が分かれるところなのではないだろうか。

個人的には、あの行動は、彼にとってただの狂人であるイワノフと同様の世界を見ようとするものであり、心が折れた結果、自らの意思で狂ってしまったのではないかと考えている。

アレクサンドルとイワノフ

ところで、イワノフは最後まで飄々としているのに、アレクサンドルは精神崩壊のような散々な目にあっている。これには、アレクサンドルに対してのある種の問題提起があるように感じる。信念を持っているはずの彼だが、実は様々な問題点を抱えている。

まず、息子の声を一切聞き入れず、その関係を犠牲にしてまで自身の信念を貫こうとする独善性。そして、息子に対して自身の信じる「自由」でなく、社会が定めた学問であり、定まった概念を学ぶ「幾何学」を勉強するように指示するなどの矛盾がある。

こういった点から、ひたすらに自身の妄想のみを信じるイワノフとの対称性が浮かび上がる。

完全な内面のみの自由でなく、他者を巻き込み、直接的に外部へ発信する言論の自由は破滅を招くという皮肉にも見えてこないだろうか。

おわりに

細かいことには全然触れてませんが、物語の大枠はこんな感じではないでしょうか。世界的な政治状況などからも、現代でも響く切実な題材であるように思います。

映画ばかり観ていますが、たまには舞台も良いものですね。

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